あの子をお迎え・「お盆」おさらい
新盆
新盆(にいぼん)とは、あなたの大切な人やあの子の死後、四十九日の忌明けを過ぎてから迎える初めてのお盆を特別に指しています。
「新盆」は〝しんぼん〟、〝にいぼん〟など地域によって呼び方が違い、初盆(はつぼん)とも呼ばれます。
四十九日の忌明けを過ぎてから迎える初めてのお盆、ということですので、四十九日を迎える前にお盆になる場合には、その翌年が新盆となります。
お盆
お盆とは略称であり、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼びます。私自身は一回も〝うらぼんえ〟とは言ったことがありませんが。
亡くなられた方やご先祖様が、あの世と呼ばれる世界(浄土)からこの世(現世)に戻ってくる期間です。
故人が生前を過ごした場所、主に自宅でお迎えして、再び戻っていくあの世での幸せ(=冥福)を祈る大事な機会です。
盂蘭盆会とはサンスクリット語の「ウランバナ」(逆さ吊りの拷問)の発音が語源とされます。
お盆のそもそもの由来とは、仏教の「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経に由来しているとされています。
そこで、このお経の内容についても少し触れておきましょう。
完結に言うと、お釈迦様の弟子とされる目連尊者(*もくれんそんじゃ)が自身の母親を地獄の苦しみから救い出すお話です。*目連尊者は古代インドの修行僧の一人です。
あるとき目連尊者が神通力によって、自分の母親が死後に餓鬼道(*がきどう)に落ち苦しんでいたことを知りました。*天道,人(間)道,修羅道,畜生道,餓鬼道,地獄道の六道。(仏教用語)
それを知った目連尊者は母親を餓鬼道から救おうと師匠であるお釈迦様に相談、お釈迦様は夏の修行が終えたのち、7月15日になったら多くの供物を捧げて供養すれば母親を救えると教えたそうです。
目連尊者がお釈迦様の言うとおりにした所、母親は極楽往生出来た、というお話です。
雑念の塊である私には、なんかちょっと〝地獄の沙汰も金次第〟的なお話にも聞こえちゃいます・・・。ごめんなさい。
以来、この日は家族や先祖を供養する日となりました。
日本では推古天皇(紀元554- 628年)の時代から、このお盆の行事が行われるようになりましたが、戦国時代までは朝廷、貴族に限られた習慣・行事でした。
やはり戦争のない平和で穏やかな時代(江戸時代)は、身分制度があったとはいえ多様な文化が社会に浸透した華やかで緩やかな時代なんですね。侮るなかれ徳川三百年。
このお盆の風習は、日本に古くからある年忌法要の習慣とも結びつき今日まで大切な行事として伝承されています。余談ですが、明治維新以降は再び戦争の時代に。
太平洋戦争敗戦までの50年以上、日本は断続的に国内外での戦争しまくりの時代へと突入しました。
お盆はいつ?
お盆の時期は東京をはじめとする関東地方では7月13日~16日が一般的とされるものの、多くの地域では一ヶ月遅れの8月13日~16日にお盆の行事を行う「月おくれ盆」が多くなっています。
これは7月のお盆が旧暦に基づいたものであり、明治時代に新暦へ切り替えた際に農業の繁忙期とタイミングが被ってしまい現実的でないという理由から1ヶ月遅らせた名残とされます。
また、高度成長期には農業国から工業国への大転換がすすみ、地方から都会へ働きに出た労働者は多かったのですが、お盆には故郷へ帰すことが習慣化しており、お盆の時期が2回に分かれてしまうのは企業としても都合が悪かったことは想像するに難くありません。
お盆期間のスケジュール
12日(お盆入り前日)「お迎え始め」
飾りつけやお供え物を始めます。
13日「迎え盆」
お墓参りを済ませます。「迎えは早く、送りは遅く」とも言われているのでなるべく朝の内に済ませましょう。夕刻にはご先祖様をお迎えする迎え火を行います。
14、15日「盆中日」
迎え盆でお墓参り出来なかった場合はここで行きましょう。僧侶の方を招いて読経してもらい、親族や親しい友人などと会食の場を設けます。
16日「送り盆」
夕刻に送り火を行ってお墓へ帰るご先祖様の御霊をお見送りします。
お読みいただきありがとうございました。
次回は「お盆飾り」についてご紹介予定です。